ケータイ辞書JLogosロゴ 金枝村(近世)


栃木県>喜連川町

 江戸期〜明治22年の村名。那須郡のうち。「慶安郷帳」「寛文朱印留」では烏山藩領,「元禄郷帳」「改革組合村」「旧高旧領」ではともに幕府領と見える。村高は,「慶安郷帳」544石余(田294石余・畑249石余),「元禄郷帳」653石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに655石余。助郷は奥州街道喜連川【きつれがわ】宿に出役(喜連川町誌)。「改革組合村」では金枝村組合寄場に属し,天保年間の家数38。関街道の荷物の中継ぎをする問屋がいた。明暦3年,当村の問屋当主孫左衛門・正吉らは,同じく街道筋の石末村・原村・伏久村・鴻野山村・鹿子畑【かのこはた】村・蛭田村・福原村の中継ぎ問屋および板戸河岸とともに,道中奉行に対して諸荷物の万全輸送請負いや馬の統制について要求した。神社には温泉神社があり,祭神は大己貴命・少彦名命,例祭は10月29日・11月29日・2月25日。寺院には浄土真宗毘沙門山朝正院照願寺・真言宗三光山清光院普済寺があり,照願寺はもとは常陸国久慈郡鷲子村にあったが享保4年に念信坊が当地へ移したという(同前)。明治4年宇都宮県を経て,同6年栃木県に所属。明治11年普済寺に勤善校を開設し,当村および鹿子畑村を通学区としたが,同12年鹿子畑村に校舎を新築して鹿子畑小学校と改称,同19年には下河戸尋常小学校鹿子畑分教室と改めた(同前)。明治22年上江川村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7278388
最終更新日:2009-03-01




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