ケータイ辞書JLogosロゴ 上厚崎(近代)


栃木県>黒磯市

 明治22年〜現在の大字名。はじめ東那須野村,明治45年黒磯町,昭和45年からは黒磯市の大字。明治24年の戸数18・人口123(男61・女62),水車場2。第2次大戦後間もなく上厚崎開拓と馬蹄形開拓と呼ばれる2つの開拓地が生まれた。上厚崎開拓(通称新上厚崎)は昭和20年に着手され,入植者は同22年頃で31戸,同46年には16戸,耕地は同46年で33町6反余(うち水田26町6反余)。馬蹄形開拓は昭和23年に着手され,総面積48町4反余。入植者は同37・46年ともに11戸で,耕地は同46年で27町1反余(うち水田19町6反余),乳牛が同46年に58頭(黒磯市誌)。旧村地区は主として畑作地帯だったが,昭和31年以降地下水揚水による開田が増加した。同35年には市誘致工場第1号のミツヤ送風機製作所が建設された。北東部は市街地の発展に伴い,昭和40年代から住宅が増加している。同51年総合グラウンド・県立黒磯南高校,同52年体育センター,同55年通称国体道路,同56年厚崎中学校,同57年文化会館と多目的研修集会センターなど公共施設が続々と建設され,大きく変わってきている。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7278430
最終更新日:2009-03-01




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