ケータイ辞書JLogosロゴ 上大塚新田(近世)


栃木県>黒磯市

 江戸期〜明治22年の村名。那須郡のうち。江戸初期に開発されて成立。寛文5年には上大塚新田と下大塚新田に分かれて見える(東那須野村郷土誌)。はじめ那須藩領,のち貞享4年からは幕府領。村高は,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに76石余。奥州街道鍋掛宿の助郷村。「改革組合村」では東小屋村組合寄場に属し,天保年間の家数3。自然流水は全くないが,幕末の頃旧木ノ俣用水の分水である上厚崎堀が開削され,村内を流れた。元治元年6月には水戸天狗党取締りのため,真岡【もおか】陣屋に当村から鉄砲1挺と人足1人を詰手として差し出している(県史近世7)。明治4年宇都宮県を経て,同6年栃木県に所属。同14年の戸数4・人口26(室井家文書)。同17年に陸羽街道(現国道4号)が通り,同19年には日本鉄道(現国鉄東北本線)が村内に敷設された。明治22年東那須野村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7278459
最終更新日:2009-03-01




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