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上山村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
上山村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
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上山村(近世) 江戸期の村名魚沼郡のうち田沢村22か村の1つ信濃川右岸はじめ高田藩領,天和元年からは幕府領村高は,「正保国絵図」49石余,「天和高帳」「元禄郷帳」ともに70石余天和2年検地では田畑屋敷合わせて反別14町余,のち享保元年の新田検地で3反余,宝暦6年新田検地で37町余が新たに打ち出された元禄7年改村鑑によれば,家数5・人数84,馬7寛文11年地内に荒屋新田を開き,また,安永2年芋川新田に土地を貸与している鎮守は諏訪社寛永4年清津川の鮭漁の漁業権をめぐり倉俣村との間に争論となる近隣村々が仲裁に入り,当時の水の流れ3分の1は川北村分と決まる善光寺街道東通りに近く,上田通りの入口に当たる江戸中期以降は田沢村の一部となったと思われるが(天保郷帳),その後も独立して扱われることがあった... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
上山村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
上山村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」