ケータイ辞書JLogosロゴ 口粟野(近代)


栃木県>粟野町

 明治22年〜現在の大字名。はじめ粟野村,明治39年からは粟野町の大字。明治24年には戸数414・人口2,137(男1,062・女1,075),学校1,水車場17,郵便局・郵便為替局があった。戸数・人口は同43年450・2,902(男1,472・女1,430),大正元年535・2,696(男1,317・女1,379)。口粟野は粕尾を経て足尾,永野・出流【いずる】,入粟野賀蘇山方面への交通の要衝にあり,宿屋・小売店などもにぎわい,旧暦7月11日の盆市・12月26日の暮市には,鹿沼・栃木・宇都宮方面からも商人が集まった。足尾銅山の開鉱に伴って一時盛んであった銅山への物資の輸送は大正元年足尾鉄道の開通で急速にさびれた。粟野尋常小学校は明治42年粟野第一尋常高等小学校となり,同37年粟野農業補習学校,大正15年実践女学校が併設された。明治末期に鹿沼および栃木へ馬車が通り,大正12年にはバスが運行されるようになった。大正期の主要産物は大麻・木材・薪炭材・木炭。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7278836
最終更新日:2009-03-01




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