ケータイ辞書JLogosロゴ 栗ケ島村(近世)


栃木県>高根沢町

 江戸期〜明治22年の村名。塩谷郡のうち。はじめ宇都宮藩領,延享4年一橋家領(ただし,「改革組合村」では幕府領),嘉永3年からは幕府領。村高は,「慶安郷帳」では雫ケ島村と見え384石余(田313石余・畑71石余),「元禄郷帳」581石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに605石余。「改革組合村」では上高根沢村組合寄場に属し,天保年間の家数28。廻米の津出しは板戸河岸を利用した。神社は元禄14年神明社が祭祀された。祭神は大日孁貴命で,のち明治末期に白鳥神社を合祀,配神に日本武尊,祭日は11月3日。寺院には宝暦2年開基の天台宗光見寺があり,ほかに地蔵寺があったが廃寺。明治4年宇都宮県を経て,同6年栃木県に所属。明治22年北高根沢村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7278876
最終更新日:2009-03-01




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