ケータイ辞書JLogosロゴ 黒部村(近世)


栃木県>栗山村

 江戸期〜明治22年の村名。塩谷郡のうち。江戸初期には栗山村の一部で,「慶安郷帳」では同村の村高のうちに含まれていた。栗山村は「元禄郷帳」では当村など9か村に分かれて記載されており,当村はこの間に栗山村から分村したと考えられる。日光神領。幕末期に土呂部村を分村。村高は,「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに97石余,「旧高旧領」では36石余。「旧高旧領」での村高の減少は土呂部村を分村したことによる。天保14年将軍家慶の日光社参では,高100石につき7人の割で助郷役が課せられ,当村からは7人が鉢石宿へ勤めている(いまいち市史)。小物成など年貢以外の貢租はなかった(東照宮神領の研究)。二宮尊徳によって日光仕法が開始された嘉永6年の家数10・人数47,馬数12,反別14町1反余,荒畑6町5反余,起返地6反余(全集)。日枝神社があり,例祭日は旧7月25日。明治4年宇都宮県を経て,同6年栃木県に所属。同18年日向【ひなた】尋常小学校黒部分教場を開設。明治22年栗山村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7278905
最終更新日:2009-03-01




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