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- 下沢村(近世)とは
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下沢村(近世) 江戸期~明治11年の村名播磨国神西郡のうち播但中央山地南部,市川と越知川の合流点付近もと豊臣氏蔵入地慶長5年姫路藩領,寛文3年福本藩領,同6年からは旗本池田(屋形)氏領村高は,「正保郷帳」571石余うち田539石余・畑31石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに580石余神社は山王山に猿田彦神社(のちの猿田神社)がある当地は早くから開拓され,中世赤松氏が山王権現に社領を献じており,その一族の縁故者上月氏が明暦3年猿田彦神社の本殿を造立したというまた,同社の神宮寺として真言宗松福寺も創建されたが,享保年間頃から無住となり,明治初年には廃寺となるほかに加茂神社・上繁稲荷神社がある寺院は浄土真宗本願寺派金花山正善寺ほかに日蓮宗の説教所(のちの延寿寺)があった明治11年沢村と改称 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
下沢村(近世) 江戸期~明治19年の村名頸城郡のうち姫川支流根知川中流右岸上野村の北にあたるはじめ高田藩領,天和元年幕府領,元禄4年糸魚川【いといがわ】藩領,同8年幕府領,享保2年(元禄12年か)からは再び糸魚川藩領村高は,「天和高帳」23石余,「天保郷帳」では上野村枝郷とあり同じく23石余明治12年からは西頸城郡に所属同19年上野村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
下沢村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」