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- 滝野沢村(近世)とは
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![]() | 滝野沢村(近世) 江戸期~明治15年の村名滝沢村とも書いた(寛文印知集・元禄郷帳)村山地方,月布川下流北岸に位置する村山郡のうちはじめ最上氏領,元和8年左沢【あてらざわ】藩領庄内藩預り地,寛永8年幕府領,同9年庄内藩領,慶安2年松山藩領(左沢陣屋支配),天明5年幕府領,同8年からは再び松山藩領村高は,「最上記」によれば元和9年39石余(寒河江市史編纂資料叢書22),「天保郷帳」では「古者滝沢村」と見え135石余,村山石高帳では天保13年81石余,「旧高旧領」148石余ただし江戸初期の領主変遷は不明な点も多く,「最上記」によれば当村は元和9年には山形藩預りの幕府領とある従って元和8年幕府領となり,寛永元年の村替えの際に左沢藩領となったとも考えられる慶安2年の左沢山里苅田畠寄帳では,村高81石余(うち田68石余・畑9石余・屋敷3石余・山手7斗余),青苧【あおそ】代米7斗余,屋敷6軒天明7年の左沢領村々様子大概書下(県史13)によれば,同5年の村高81石余(うち新畑2斗余),反別は田3町4反・畑1町余,家数9軒,人数は男23・女17,馬1,用水は村内の溜井を利用,農間余業に男は薪を取り,また青苧を作る年貢は金納であった享和2年の北堰完成により開田が急速に進んだ旧山形県を経て明治9年山形県に所属同11年の一覧全図では,反別22町6反余,戸数11・人口81明治11年西村山郡に属し,同15年葛沢村ほか4か村と合併して本郷村となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 滝野沢村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 滝野沢村(近世) 江戸期~明治初期の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」