ケータイ辞書JLogosロゴ 土呂部村(近世)


栃木県>栗山村

 江戸期〜明治22年の村名。塩谷郡のうち。元禄14年の日光領目録に「黒部村・土呂部村」と見え,黒部村と合わせて記載されるが,「元禄郷帳」「天保郷帳」ではともに当村の名は見えず,村高は黒部村の村高のうちに含まれている。しかし,嘉永6年の二宮尊徳の日光仕法の史料や「旧高旧領」には黒部村とは別に当村の名が見える。はじめは黒部村の枝郷であったのが,幕末期に分村して成立したのである。日光神領。村高は「旧高旧領」で60石余。享保8年の大洪水では人家のすべてが流失し,生存者はわずかに十数名であった。二宮尊徳によって日光仕法が開始された嘉永6年の家数9・人数37,馬数9,反別28町2反余,荒畑25町8反余,起返地8反余(全集)。若者組組織があり,民家の間取りと使用法などにも特徴がみられる。また数多く行われている講や,婚姻関係が成立すると婿の家から一度畳んだ2枚の着物を仲人が嫁の家に持参し,嫁の家ではその着物を畳み返して嫁入りの時に返却するタタミカエシという風習がある。明治4年宇都宮県を経て,同6年栃木県に所属。同11年塩谷郡第11番学区土呂部小学校創立,同18年日向【ひなた】尋常小学校土呂部分教場設置。明治22年栗山村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7279935
最終更新日:2009-03-01




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