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- 東新町(近世)とは
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東新町(近世) 江戸期~明治10年代の町名江戸期は明石城下の1町明治初年からは明石を冠称元和4年小笠原忠政の明石築城の際に成立した10町に含まれず,その後城下町の発展とともに形成された町明石城下町の東の出入口京口門と東隣の大谷谷宿との間4町ばかりの郭外で,西国街道上の南側に成立北側には足軽組屋敷が続いていたが,正保2年頃から民家が建ち始め,町並を形成のち,王子(明石川西岸)に成立した西の新町に対し,東新町と呼ばれた松平直明の時に諸役を免許されている(采邑私記)享保6年改によれば,無役の町で,家数145(本家67・借家78),建家表地口263間半,人数634(金波斜陽)御用瓦師として,伊左衛門・長右衛門の2名が見られる(播州明石記録)明治5年の大小区一覧に町名は見えるが,のち時期は不詳ながら,明石相生町の一部となる(明石市史) |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」