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- 細尾村(近世)とは
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![]() | 細尾村(近世) 江戸期の村名魚沼郡のうち伊達村10か村の1つ信濃川支流入間川左岸の河岸段丘沢入りの地形が地名となったというはじめ入間川沿いに村立てしたが,相次ぐ水害により上段に移住したはじめ高田藩領,天和元年からは幕府領村高は,「正保国絵図」89石余,「天和高帳」76石余・新田7石余,「元禄郷帳」76石余細尾新田は寛文7年に高請された天和3年検地帳では,本村分の反別田5町余・畑屋敷約8反,ほかに柴山など元禄7年改村鑑によれば,本村分の家数11(本家8・水呑3)・人数80,馬13・牛1神社は十二社ほかに薬師堂がある庄屋は伊達村庄屋が兼帯した江戸中期に伊達村の一部となったと思われるが(天保郷帳),その後も独立して扱われることがあった |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 細尾村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」