- JLogos検索辞書>
- 谷田村(近世)とは
「谷田村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
![]() | 谷田村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 谷田村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 谷田村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 谷田村(近世) 王府時代の村名国頭【くにがみ】方羽地間切のうち方言ではホートという公田村とも書く「高究帳」に,こたてん村と見え,高頭177石余うち田173石余(永代荒地5石余を含む)・畑3石余なお「絵図郷村帳」では,ここてん村と見える「由来記」では,トモノカネノロ火の神はトモノカネノロの祭祀,神アシャギは仲尾ノロ・トモノカネノロの祭祀しかし,谷田之嶽は仲尾村のうちに記されている現在川上のホートゥヌバーリ(谷田バーリ)にホートゥヌアシャギがあり,北方約700mにあるウガンバル御嶽への遥拝所だが,同御嶽は現在仲尾の拝所となっているそのほか,ホートゥヌニガミや大屋子火の神などがあるこれらの拝所の周辺が谷田遺跡で,グスク時代からの土器・南蛮甕,14~15世紀の白磁・染付などが出土する(名護市の遺跡)川上村への合併を,乾隆元年(1736)とする説があるが,道光29年(1849)羽地間切の山方日記などにも村名が見えることから(地方経済史料9),その時期は未詳... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 谷田村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 谷田村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 谷田村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」