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- 相生町(近世~近代)とは
「相生町(近世~近代)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
相生町(近世~近代)
江戸期~現在の町名江戸期は高崎城下町の1町で,明治22年高崎町,同33年からは高崎市の町名となる前橋台地の南端,烏川の左岸東方,高崎城の西北部に位置し,南は本町...
[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7281221]
関連項目:
赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 相生町(近世~近代) 江戸期~昭和59年の町名江戸期は姫路城下の1町町人地明治初年~明治22年は姫路を冠称姫路城の南西,博労町の東,船場川沿い町名の由来は,文政年間初めて当地で松影染を製し,高砂相生松の模様を染めたことによるという(市制三十年姫路市史)もとは備前町の一部,江戸末期までに成立したと考えられる明治22年姫路市に所属昭和59年博労町となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」