ケータイ辞書JLogosロゴ 赤岩(近代)


群馬県>千代田町

 明治22年〜現在の大字名。はじめ永楽村,昭和30年千代田村,同57年からは千代田町の大字。明治24年の戸数257,人口は男720・女717,船61。かつて盛んであった利根川の水運は鉄道の開通によって衰微したが,赤岩渡船は現在も残っている。明治30年頃は歩行船2艘・馬船1艘が運航され,大正15年県営となり,昭和24年以降県委託事業として同町が管理運営し発動機船が就航している。明治43年利根川が氾濫し地内東の数か所が崩落したが,堤防の決壊は免れた。明治期から昭和初期にかけて女子の賃機織りが盛んであった。大正末頃赤岩〜館林間と赤岩〜太田間を乗合バスが運行開始したが,自家用車の普及により昭和60年全線が廃止された。昭和22年永楽中学校開校。第2次大戦後植木や花木の生産が盛んになる。地内に鞍掛工業団地が造成され,昭和57年ビール工場が操業した。自然主義文学の先駆者田山花袋は当地を愛し,「河ぞひの春」を書いている。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7281262
最終更新日:2009-03-01




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