ケータイ辞書JLogosロゴ 飽間郷(中世)


群馬県>安中市

 戦国期に見える郷名。碓氷郡のうち。明間とも書いた。戦国期に成立したと推定される年月日未詳の上杉氏所領目録(彦部文書/県史資料編7)に「上州之内 持分之事」として「一,宇須井庄之内 飽間郷 岩戸村」と見え,当郷は山内上杉氏の所領で宇須井荘(碓氷荘)に含まれていたことがわかる。永禄3年と推定される「永禄二ノ状」の追記のある年未詳10月2日の正木時茂書状写(歴代古案/県史資料編7)には,小田原北条氏の久留里出陣に対して越山した上杉輝虎が「明間・岩下・沼田之城被攻落」と見え,当地にあった城を攻略したことが知られる。また「上野国簑輪軍記」には,永禄6年の武田信玄の簑輪城攻めに際して当地付近でも合戦が行われており「飽間山」の名が見える(群書21)。「郡村誌」によれば,弘治年間に文字を秋間と改め,慶長年間に東上秋間村・西上秋間村・中秋間村・下秋間村に分村したという。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7281296
最終更新日:2009-03-01




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