ケータイ辞書JLogosロゴ 阿久津(近代)


群馬県>高崎市

 明治22年〜昭和31年の八幡村の大字名。明治24年の戸数146,人口は男421・女423,馬25・寺院2・船10。地内に伝わる獅子舞は稲荷流を称し,その起源は江戸中期以前にさかのぼると思われ,八幡村成立後は郷社山名八幡宮の秋の例大祭の折に村内の8台の屋台(花車)とともに重要な役割を担った。明治43年・昭和10年・同22年の水害では,ほとんど全戸が浸水し田畑の流失など甚大な被害をうけた。なお昭和10年の大水害では,昭和7年に架設された烏川の共栄橋は流失し,その後堤防は従来の高さの2倍ほどに強化,橋も架け替えられた。水害に悩み,水不足に苦しんできた当地は,水田がほとんどなく,陸稲・麦・甘藷・大根などの蔬菜や桑などを栽培する農業・養蚕を主産業としてきた。昭和28年の凍霜害・旱魃の大被害を機に,同年阿久津畑地灌漑施行組合が設立され,同29年畑地灌漑事業に着工,井戸28本を掘削し,機械用水として20余町の田畑輪換地造成が7年の歳月を費やし同36年完成。昭和30年の世帯数169・人口1,014。同31年高崎市の町名となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7281306
最終更新日:2009-03-01




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