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- 朝倉村(近世)とは
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![]() | 朝倉村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 朝倉村(近世) 江戸期の村名日向国諸県【もろかた】郡のうち霧島山高千穂峰東麓の台地,高崎川上流右岸に位置する「三国名勝図会」によれば,平安末期僧俊寛が鬼界ガ島に配流の時に通過した朝鞍野は,地内の長尾山麓の台地にあたるという鹿児島藩直轄領はじめ高原郷,延宝9年からは高崎郷に属す元禄11年「日向国覚書」には朝倉村内栗巣・迫間村と見える村高は,寛文4年「日向国諸県郡村高辻之帳」および「天保郷帳」ともに385石余「旧高旧領」では当村名は見えず,前田村のうちに含まれている「三国名勝図会」によれば,当地には倉稲魂命を祀る宇賀大明神社があり,延宝4年(ママ)高崎郷の成立に伴い高崎郷の総鎮守となったその後大風と洪水のため社殿が全壊し,元禄年間に再興したといわれ,「社傍に朝倉某なるもの居住して社事を掌る,其祖先丹波国より勧請せしと云伝ふ,毎歳九月廿八日押領司氏祭祀を勤む,別当幸樹院」とある鹿児島藩領内の行政上においては延宝9年高崎郷が成立した際に前田村のうちに含まれるようになり,「薩藩政要録」など江戸中後期の藩の行政史料には当村の名は見えない現在の北諸県郡高崎町前田のうち朝倉・迫間・栗巣の地にあたる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 朝倉村(近世) 江戸期の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 朝倉村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 朝倉村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 朝倉村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 朝倉村(近世) 江戸期~明治11年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 朝倉村(近世) 江戸期~明治8年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 朝倉村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 朝倉村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 朝倉村(近世) 江戸期~明治8年の村名出雲国神門【かんど】郡のうち江戸期は松江藩領寛永11年の「塩冶八幡指出帳」に「あさ蔵村」の名がみえる(出雲市誌)村高は,寛文9年の検地で181石余,「大数録」で180石,「天保郷帳」では207石余天保8年の人口は84(宗門改帳)村内には,寛文3年建立の八幡宮,貞享元年造営の八幡宮,禅宗福宗山長蔵寺があった(雲陽誌)明治4年島根県に所属同8年大津村・石塚村と合併して大石村となる朝倉の名は現行の出雲市大津町の通称地名に残る... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」