ケータイ辞書JLogosロゴ 飯島村(近世)


群馬県>玉村町

 江戸期〜明治12年の村名。那波郡のうち。はじめ前橋藩領,延享4年幕府領,宝暦2年上総佐倉藩領,同13年幕府領,享和元年幕府領と旗本横田氏との相給,文化3年旗本横田氏・高井氏の相給。村高は,「寛文郷帳」で145石うち田方4石余・畑方140石余,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに156石余。天明3年の年貢割付書によると,反別は16町余,同年は浅間山の噴火に伴う降灰と天候不順による農作物不作のため特に破免となり,定免の米33石余が21石余,永9貫文余が5貫文余とそれぞれ減額されている。同年以外は再び定免に戻り明治期に至る(岡田家文書)。助郷は日光例幣使街道の玉村・五料の両宿であるが,主として五料宿に割り当てられた(木島家文書)。水利は63か村組合の植野天狗岩堰用水にもっぱら頼る。文政11年の人数76(上之手区有文書)。村内に寺院はなく稲荷の小社があるが,鎮守は玉村八幡宮で,大祭には第6番村として行列を組む。幕末の改革組合村高帳によれば,玉村宿寄場組合に属し,高156石余,家数12。明治元年岩鼻県,同4年群馬県を経て,同6年熊谷県,同9年群馬県に所属。同郡内に同名の村があるため,明治12年上飯島村と改称。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7281436
最終更新日:2009-03-01




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