ケータイ辞書JLogosロゴ 飯塚郷(中世)


群馬県>玉村町

 鎌倉期〜南北朝期に見える郷名。那波郡のうち。嘉暦3年4月5日の那波宗元寄進状(長楽寺文書/県史資料編5)に「寄進 世良田長□(楽)寺 上野国那波郡飯塚郷事」とあり,宗元重代相伝の私領である当郷を長楽寺に寄進している。これに関して幕府は,同年7月17日の関東御教書案(同前)で「上野【こうずけ】国那波郡飯塚郷〈那波上総二郎宗元知行分〉」が長楽寺に寄進されたことを伝えている。なお同年10月18日の大谷道海寄進状案(同前)には「那波郡飯塚郷買得之,奉寄進間,此小角田去与了重畢」とあり,当郷を買得して長楽寺に寄進したので,北殿より買得した小角田の在家・田畠と本銭90貫文で了重に去り与えた旨が記されている。また同年月日の長楽寺住持恵宗宛行状案(同前)にも道海が「那波郡飯塚郷并小角田畠」を買得して長楽寺に寄進した旨が記されている。この道海の寄進は,その寄進地の多くに政所職や屋敷などを賜っており,名儀上寄進した土地を実際上保持するためのものであったと考えられ,徳政令を回避する手段であったと考えられる(新田町誌4)。なお明徳3年8月10日の年紀を有する年月日未詳の長楽寺寺領目録(同前)には「一,那波郡飯塚郷〈那波上総二郎宗元知行 嘉暦三年七月十七日 相模寺御判〉」とある。また貞治4年7月5日の長楽寺住持了宗寺領注文(同前)にも「一所 那波郡飯塚郷〈嘉暦三年七月十七日先代安堵在之〉」とある。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7281448
最終更新日:2009-03-01




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