ケータイ辞書JLogosロゴ 石神村(近世)


群馬県>吉井町

 江戸期〜明治22年の村名。多胡郡のうち。はじめ吉井藩領,慶長6年幕府領,同7年旗本倉橋氏領,寛文9年幕府領,延宝7年安中【あんなか】藩領,天和元年幕府領,同2年吉井藩領,元禄11年幕府領と旗本大久保・松平・山村3氏の相給となる。このうち幕府領は文政7年御三卿清水家領を経て安政2年幕府領となる(郡村誌)。村高は,「寛文郷帳」で125石余うち田方15石余・畑方109石余,「元禄郷帳」126石余,「天保郷帳」「旧高旧領」も同高。なお文政年間の吉井宿組合村々書上帳によれば,清水家領が家数5,人数14うち男6・女8,馬2,旗本大久保氏領が家数6,人数24うち男12・女12,馬1,同松平氏領が家数3,人数10うち男5・女5,同山村氏領が家数6,人数33うち男18・女15,村高126石余のほかに除地高鎮守稲荷免1石余(吉井町誌)。地内南部に鎮守稲荷社があり,元和2年の勧請という。古老は,昔石上命を祀り,その墳墓を築いて標としたが,その遺跡が現在も同社内にあると伝える。北方には琴平社がある。また古跡に峰山城跡があり,深さ8尺・幅15尺の古い堀が口字形をして周囲をめぐっている。東方の旧字念仏町に,寛文4年勘長坊が建立した常慶院があった。新義真言宗川内村延命院の末で,明治5年廃寺となった。また字千保に延徳寺があった。口碑によれば,伽藍の大きさは50間四方,屋根は銅瓦葺の寺院であったが,武田氏来襲に際し焼失したと箕輪戦の物語を伝える。幕末の改革組合村高帳では,吉井宿寄場組合に属し,高125石余,家数17。明治3年の家数人別書上帳(三木家文書/県史資料編9)では,家数17・人数74(男39・女35)。明治元年岩鼻県,同4年群馬県を経て,同6年熊谷県,同9年群馬県に所属。同22年入野村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7281479
最終更新日:2009-03-01




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