ケータイ辞書JLogosロゴ 石原村(近世)


群馬県>高崎市

 江戸期〜明治22年の村名。片岡郡のうち。高崎藩領。村高は,「寛文郷帳」で2,447石余うち田方1,712石余・畑方734石余,「元禄郷帳」2,464石余,「天保郷帳」「旧高旧領」とも同高。烏川沿いの平地は水田地帯で,碓氷【うすい】川から取水する金ケ崎用水を利用。丘陵地帯では養蚕・麦・煙草を栽培した。集落は中央部の中石原や東部の半田を中心に散在する。烏川には聖石の渡しがあり,冬季には土橋を架設した。高崎から聖石の渡しを通り,清水山を越えて富岡に至る富岡街道がある。地内には清水山山頂の清水寺観音堂のほか天台宗石昌寺・曹洞宗利済寺や,元慶4年の建立と伝えられる片岡郡総鎮守の式内社小祝神社,三島塚の愛宕社などがある。新義真言宗豊山派清水寺は,大同3年坂上田村麻呂が東北経営の際に京都清水寺から勧請・開基したと伝えられ,幕府や高崎藩主の保護をうけた。「旧高旧領」による寺領16石余。境内へは標高198mを536の石段で登り,その上り口に,高崎出身の俳人志倉西馬らが天保13年に建立した「観音の甍みやりつはなの雲」を刻む芭蕉の句碑がある。この句碑のほか算額と絵馬は市文化財に指定されている。算額は文化12年の奉納。絵馬は高崎藩主安藤対馬守重博が元禄5年に奉納。幕末の改革組合村高帳では,高崎宿寄場組合に属し,寺領を除いて高2,447石余,家数224。明治4年高崎県,群馬県を経て,同6年熊谷県,同9年群馬県に所属。明治7年利済寺を仮校舎として石原小学校が開設。同22年片岡村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7281508
最終更新日:2009-03-01




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