ケータイ辞書JLogosロゴ 今井村(近世)


群馬県>境町

 江戸期の村名。新田郡のうち。利根川支流早川中流右岸の平坦地に位置する。はじめ幕府領,のち旗本小笠原氏領。村高は,「寛文郷帳」で146石余うち田方102石余・畑方43石余,「元禄郷帳」147石余,「天保郷帳」同高。検地は寛永4年に実施。元禄年間の年貢納は平均米35石余・永15貫前後。貞享4年の家数24・人数86,馬6。享保14年の家数15うち飢百姓水呑12,人数56。元文3年の様子書上帳によれば家数17・人数86,反別は田方13町3反余・畑方14町7反余,上田石盛9つ,以下2つ下り,天水溜置用水を利用したが,田地が高かったため水利には不便であった。畑作は大豆3分,粟・芋各2分,小豆・稗・トウモロコシ各1分作,農業のほか男は笠掛野で薪木作り,女は木綿を買い調えて織物稼をした。課役には足尾銅山御用と木崎宿の定助郷があった。農耕の適地ではなく,四囲の隣村の上田石盛はいずれも15であったが,当村は9である。延享3年幕府巡見使が廻村した時,小前連名で年貢免を願い出た。そこでは上田1反9斗の収穫のうち4斗5升を年貢上納し,残り4斗5升のうち半分を地主納したのでは百姓の生計が成り立たないと訴えている。大部分が飢百姓や水呑百姓であったため生計に苦しみ,百姓が次第に離散して半減した。村は田方が多く,天水溜と早川用水を利用したが,旱魃時には上流で流水が止まり,また下流三ツ木村との用水争いが絶えず,早川あたりに小字「けんかだ」がある。江戸後期次第に養蚕に携わるようになる。江戸末期に西今井村と改称。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7281610
最終更新日:2009-03-01




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