ケータイ辞書JLogosロゴ 岩井村(近世)


群馬県>安中市

 江戸期〜明治22年の村名。碓氷郡のうち。安中藩領。村高は,「寛文郷帳」で526石余うち田方284石余・畑方241石余,「元禄郷帳」563石余,「天保郷帳」も同高,「旧高旧領」526石余。なお「旧高旧領」では高のうち富士・白山・諏訪3社領37石が見えるが,江戸初期の「上野国分前帳」では,37石は天台宗常楽寺領となっている。寺院にはほかに真言宗昌井寺がある。宝永7年の安中宿調助郷御証文写(安中宿本陣文書)によれば,当村は安中宿大助郷19か村の1つで,勤高111石を以って必要に応じて伝馬を分担していたが,のちに定助郷村に改められた。明和2年の安中宿助郷人馬割付覚帳(同前)によれば,人足寄高1,069に対し割付1,150で81人の不足,馬寄高631に対し割付528で103頭の過重となっている。寛延2年の村差出帳(中島家文書)では,寛文3年安中藩主水野氏の検地が行われ,高526石余,反別53町9反余,うち下田2反歩は庄屋免引され残り53町7反余うち田方23町3反余・畑方30町4反余,以後川欠による田畑の増減があり,正徳4年には田方26町余,このうち24町余は二毛作,1町余が一毛作,米のほか上綿215匁・下麻1貫100匁・大豆23俵・荏5俵・小豆7升余・荒麦3斗3升・萱26駄・渋柿7斗などの生産があり,家数143ほかに寺2,人数689うち男359・女324・出家6,馬38,また枝村として西村・中村・東村が記される。幕末の改革組合村高帳では,安中宿寄場組合に属し,高521石余,家数74。明治4年安中県,群馬県を経て,同6年熊谷県,同9年群馬県に所属。明治7年常楽寺・昌井寺を仮用して岩井小学校が開校,「郡村誌」による生徒数男26・女10。同22年岩野谷村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7281653
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ