ケータイ辞書JLogosロゴ 岩崎村(近世)


群馬県>吉井町

 江戸期〜明治22年の村名。甘楽【かんら】郡のうち。七日市藩領。村高は,「寛文郷帳」で774石うち田方401石余・畑方372石余,「元禄郷帳」789石,「天保郷帳」1,118石余,「旧高旧領」も同高。密蔵院領15石がある。慶長11年領主水野隼人正より免田1反を寄進され,慶安2年8月将軍家光より寺領15石の朱印を与えられている(岩平村郷土誌)。幕末になると七日市藩も他藩同様に産物奨励策を進めており,それをうけ当村でも,文久2年には村民で死絶退転した者の畑地のうち1町余について,桐畑への開発願が出されている(堀越家文書/県史資料編9)。また鏑川での川魚漁も行われており,安政4年にはその運上金として永110文1分が課せられている(藤巻家文書/同前)。なお元治元年水戸天狗党の吉井宿通過事件があり,村名主鈴木文助は見聞記録を幅30cm・長さ3mの絵巻物として遺している。幕末の改革組合村高帳では,小幡村寄場組合に属し,高871石余,家数130とある。明治4年七日市県,群馬県を経て,同6年熊谷県,同9年群馬県,同11年群馬県北甘楽郡に所属。同22年岩平村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7281667
最終更新日:2009-03-01




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