ケータイ辞書JLogosロゴ 上野村(近世)


群馬県>甘楽町

 江戸期〜明治22年の村名。甘楽【かんら】郡のうち。延宝年間以前は幕府領代官深谷氏支配,天和2年吉井藩領,元禄11年旗本河野氏領となる。村高は「寛文郷帳」で326石余うち田方98石余・畑方227石余,「元禄郷帳」333石余,「天保郷帳」「旧高旧領」も同高。天保4年の年貢割付状(松浦家文書)によれば,惣反別58町7反余うち田方10町3反余・畑方48町4反余,納合米40石(代永納)・永50貫余となっている。公私の往来が増加し,宿や定助郷の負担過重となるにつれ,臨時の増助郷制度が始まった。弘化3年の助郷人馬触立帳(安中宿本陣文書/甘楽町史)によれば,当村の安中【あんなか】宿の助郷高83石で,人足150・馬107に達している。慶応4年の名主作兵衛手控(吉田恭一家文書/同前)によると,9月から12月で人足386・馬5を松井田宿へ出している。また,文久元年の和宮様御下向人馬面附覚(同前)によれば,和宮下向に際し,人足50ほかに旗持1・提灯2・番外4・松井田留守居3(延べ65),馬5を出している。元禄16年の煙草仕付反歩改帳(吉田博明家文書/県史資料編9)によると,49人で4町1反余の煙草を作付けしている。幕末の改革組合村高帳によれば,小幡村寄場組合に属し,高333石余,家数81。農業生産物については,江戸中期以後金肥(干鰯・油粕)の使用,農機具の発達とともに商品貨幣経済が発達し,綿・麻・桑(養蚕)をはじめ菜種・藍・甘蔗・煙草・各種蔬菜などの商品化や農業作物の栽培が盛んになった。明治9年の物産取調書(吉田恭一家文書)によれば,玄米・麦類・豆類・稗・蕎麦・麺粉・味噌・秋菜・冬葱・里芋・琉球芋・胡瓜・マクワウリ・荏胡麻・鶏・葉煙草・繭・生糸・屑糸・玉絹・竹大・粉糠・酒粕・竹皮・桑苗などが記されている。明治元年岩鼻県,同4年群馬県を経て,同6年熊谷県,同9年群馬県,同11年群馬県北甘楽郡に所属。今宮神社があり,祭日9月15日,天台宗の今宮寺は小幡村長厳寺末。共立上野学校は小幡・轟・上野3か村共立で明治6年7月開校,今宮寺に仮設し,生徒数男79・女15。民業は男商6戸・工3戸,物産は繭650貫余・生糸40貫余・絹289匹・葉煙草821貫目。同22年小幡村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7281706
最終更新日:2009-03-01




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