ケータイ辞書JLogosロゴ 宇貫村(近世)


群馬県>玉村町

 江戸期〜明治22年の村名。群馬郡のうち。はじめ前橋藩領,延享4年幕府領,同年から高崎藩領。村高は,「寛文郷帳」で172石余うち田方122石余・畑方50石余,「元禄郷帳」同高,「天保郷帳」217石余,「旧高旧領」同高。享保年間の家数25・人数142うち下男・下女29。日光例幣使街道が制定されて以来,当村は猪野川の川越人足を勤めてきたが,享保14年中山道新町宿の代助郷に変更させられている。人口が少なく村は年々困窮が募り,宝暦年間5か年に限り,休役になっている。その後復役になったが,中山道は通行が多く伝馬触当は村の大きな負担となり村民を苦しめた。人馬動員数は文化14年,人足563・馬295,才領88,文政元年人足564・馬235,才領82,同2年人足864・馬256,才領88で3か年の合計は人足1,991・馬783,才領266に達している。賦役免除願が数多く出されたようであるが,天明年間には田畑荒地は数町歩におよび下男・下女は他村へ奉公稼ぎに出たという。潰百姓も数戸出ている。幕末の改革組合村高帳によれば,玉村宿寄場組合に属し,高216石余,家数10。明治4年前橋県,群馬県を経て,同6年熊谷県,同9年群馬県,同11年群馬県西群馬郡に所属。同22年滝川村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7281752
最終更新日:2009-03-01




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