ケータイ辞書JLogosロゴ 漆原(近代)


群馬県>吉岡町

 明治22年〜現在の大字名。はじめ駒寄村,昭和30年吉岡村,平成3年からは吉岡町の大字。明治24年の戸数221,人口は男640・女605,水車場7・船2。明治23年利根川大洪水以来,たびたび大水害に見舞われ,同43年の利根川および吉岡川の氾濫は最もひどく,田畑は流失し,万蔵寺・諏訪の民家は床下浸水した。明治39年無限責任漆原購買組合を設立,大正4年製糸を目的とした有限責任漆原信用販売組合を設立。組合員の収穫した繭を組合員の子女が製糸し,碓氷社に委託販売を行った。大正10年上越南線開通,地内に駅はなく,最寄りの群馬総社・八木原の両駅を利用した。昭和2年の戸数281・人口1,890,有租地田49町余・畑105町余・宅地17町余・山林雑種地52町余(駒寄村史)。乗合自動車は同3年から,群馬自動車の群馬バスとその後東武自動車の東武バスが村道を運行,昭和20年太平洋戦争の本土防衛のため仙台青葉部隊が駒寄小学校に駐留。同年米軍による前橋市空襲の余波を受け瀬来地区で3戸が焼夷弾によって全焼。昭和22年カスリーン台風のため床下浸水300戸・床上浸水30戸,流失家屋3戸,流失半壊家屋2戸・行方不明1人。昭和23年アイオン台風,同24年キティ台風により水田流失など被害甚大,同29年県営事業として護岸堤防を築き,水田27haを復興。同54年新農業構造改善事業として,1棟5,000羽の鶏を飼育し,年間4回出荷可能なブロイラー16棟建設,同年緑地運動公園を造設,同57年県営天狗岩発電所最大出力135kwを造設。米作を主要産業としてきた当地は,たびかさなる利根川の水害により耕地は半減し,養蚕の盛んな時代もあったが,それも不振となり,酪農・養豚・養鶏,施設園芸による蔬菜栽培などに転向しつつある。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7281771
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ