ケータイ辞書JLogosロゴ 多井戸村(近世)


群馬県>甘楽町

江戸期〜明治7年の村名甘楽【かんら】郡のうち鏑【かぶら】川中流の南方,下位段丘(福島段丘)と上層段丘(上野段丘)が接する地帯に位置するはじめ幕府領,延宝2年吉井藩領,文政7年旗本清水氏領,安政2年からは幕府領「寛文郷帳」「元禄郷帳」「天保郷帳」には「多井土村」と見える村高は「寛文郷帳」で畑方82石余,「元禄郷帳」92石余,「天保郷帳」「旧高旧領」も同高安政4年の物産書上(藤巻家文書/甘楽町史)によると,1年間に繭24貫目位(代金20両位)・白絹は農間手業で10疋位・葉煙草90貫目位(代金6両位)を売り出しているこの地域の農家経済にとって養蚕の占める率は大なるものであった慶応4年多胡【たこ】郡吉井町近在の農民が蜂起し,これが口火となって西上州一帯は広範な打毀にあった御用書扣(吉田家文書/同前)に「二十五日,多井戸馬喰林五郎潰し,同所吉兵衛潰し」と記されている幕末の改革組合村高帳によれば,小幡村寄場組合に属し,高92石余,家数24明治元年岩鼻県,同4年群馬県を経て,同6年熊谷県に所属明治3年の雑穀雑品書上帳(藤巻家文書/県史資料編9)によれば,大麦96石余・小麦28石余・大豆28石余・粟11石余・煙草68貫余・生糸5貫などと記されている明治7年小川村の一部となる
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7281814
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ