大窪之郷(中世)
戦国期に見える郷名。群馬郡のうち。永禄10年11月23日の武田信玄書状写(甲斐国志所収文書/県史資料編7)に「大窪之郷百貫進之候」とあり,松鶴軒(禰津信直)に対し,箕輪在城の費用として当郷のうち100貫文などを与えている。なお,同12年7月朔日の武田氏禁制(諸家文書3/楓軒文書纂中)に見える「大窪郷」も当郷のことと思われる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7281828
最終更新日:2009-03-01