ケータイ辞書JLogosロゴ 大平村(近世)


群馬県>下仁田町

江戸期〜明治8年の村名甘楽【かんら】郡のうち鏑【かぶら】川上流域の山間に位置する集落は川沿いの平坦地に形成され,中山道脇往還の道筋にあたっている村名は,山間地にしては平地が広がっていることによるかと思われるが,不詳西牧14か村の1つはじめ幕府領,文政8年御三卿清水家領,安政2年からは幕府領となる(郡村誌)村高は「寛文郷帳」104石余すべて畑方,「元禄郷帳」178石余,「天保郷帳」184石余,「旧高旧領」178石余神社に一ノ宮貫前神社の摂社と伝える駒形神社がある寺院は天台宗永寿寺鎌倉期の開基と伝え,もと5石3斗6升の除地を有していたが,延宝6年から年貢地となり,元禄12年に再度除地となった現在の建物は天保3年の建立と伝えるなお,元治元年中山道追分・沓掛両宿に対する増助郷を1か年人足136・馬120で10か年勤めるように命令されたなお,幕末の改革組合村高帳では本宿村寄場組合に属し,高178石余,家数41明治元年岩鼻県,同4年群馬県を経て,同6年熊谷県に所属同7年大平学校開校,生徒数は男12(郡村誌)同8年西野牧村の一部となる
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7281879
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ