ケータイ辞書JLogosロゴ 大前田村(近世)


群馬県>宮城村

 江戸期〜明治22年の村名。勢多郡のうち。はじめ大胡【おおご】藩領,元和2年前橋藩領,明和6年幕府領,慶応4年前橋藩領。正保4年に検地が行われ,田33町4反余・畑12町6反余・屋敷2町2反余(宮城村誌)。村高は,「寛文郷帳」391石余うち田方318石余・畑方72石余,「元禄郷帳」同高,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに646石余。宝永8年の新田検地帳(宮城村役場蔵文書/宮城村誌)によれば,元禄11年から宝永3年の間に26町1反余・分米75石余が開発された。当村は大旱地で,水不足を補うため大堤・女房沼・十二沼などの溜池が活用された。鎮守は諏訪神社で,江戸期からの獅子舞が伝わり,現在も毎年10月17日地元の長男によって舞われている。江戸末期から明治初年にかけての侠客大前田栄五郎は当村の出身。幕末の改革組合村高帳によれば,大間々町寄場組合に属し,高642石余,家数70。明治4年前橋県,群馬県を経て,同6年熊谷県,同9年群馬県,同11年群馬県南勢多郡に所属。明治10年1か村独立校として大前田学校を設立,設立当時の教員数2,生徒数男43・女22。同22年宮城村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7281921
最終更新日:2009-03-01




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