ケータイ辞書JLogosロゴ 鬼石町(近代)


群馬県>鬼石町

 明治22年〜現在の自治体名。はじめ緑野郡,明治29年からは多野郡に所属。鬼石町と浄法寺村が合併して成立。旧町村名を継承した2大字を編成。明治24年の戸数537,人口は男1,491・女1,317,学校2・水車場3。同33年新町〜鬼石間に緑野馬車鉄道が全線開通,客車9両・貨車5両・馬46頭で大正5年まで営業する。料金は全線15kmで28銭。鬼石〜藤岡間は1日4往復運転。はじめは軌道が鬼石まであったが,のちゴムタイヤの乗合馬車となり通称エンダラ馬車と呼ばれた。明治42年から鬼石の上諏訪町(大正2年から三杉町)〜児玉間を片道10銭のカタクリ馬車開通,大正10年まで運行。大正7年藤岡自動車設立,藤岡〜鬼石間にバス開通。同12年上武自動車となり鬼石〜本庄,鬼石〜児玉間で営業。その後昭和12年鬼石藤岡線・鬼石万場線が上信電鉄と合併,さらに昭和18年鬼石児玉線・鬼石本庄線が東武バスに合併し今日に至る。貨物輸送では昭和2年頃荷馬車に代わってトラックが出現,庭石業が始められたが,不況のために同12年頃には廃業同然となる。戦後の昭和30年代に入って経済高度成長の波に乗り業者が急増する。同34年鬼石庭石採取販売協同組合を結成,全国に販路を拡げ地場産業としても定着,同47年の業者数約500軒。昭和29年三波川村・美原村を合併,三波川・譲原・保美濃山・坂原の4大字を加え6大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7282045
最終更新日:2009-03-01




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