ケータイ辞書JLogosロゴ 小幡郷(中世)


群馬県>甘楽町

 鎌倉期に見える郷名。甘楽【かんら】郡額部荘のうち。南北朝期は荘園内の郷名で見える。「経俊卿記」文応元年8月20日条(図書寮叢刊)の評定の記事に「一,基兼朝臣与実伊法印相論,播磨国越部庄・上野国額部庄内小幡・白倉・新屋郷等事」とあるのが初見。同条によれば,当郷は藤原俊成の子成家が按察局に譲った所領で,按察局に実子がなければ成家の子言家に譲るよう定められていたが,この時言家の子基兼が訴訟を起こしたものと推定され,按察局の実子源氏がいるとして,その子孫の宝寿丸の知行が認められている。また「神道集」の卌八「上野国那波八郎大明神事」には「上野ノ国甘楽ノ郡ノ内,尾幡荘ノ地頭ヲハ,尾幡ノ権ノ守宗岡トソ申ケル」と見え,当地には尾幡(小幡)氏が居住していたことがわかり,また同氏が都より奥州への金の使宮内ノ判官宗光を「尾幡ノ宿所」へ招いたことが見える(県史資料編6)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7282057
最終更新日:2009-03-01




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