ケータイ辞書JLogosロゴ 片山(近代)


群馬県>吉井町

 明治22年〜現在の吉井町の大字名。明治24年の戸数80,人口は男224・女233,学校1・馬24・水車1・船1。同36年坐繰生糸共同揚返しを営むため,資金1,620円を募り,字遠出居に碓氷社鏑南組の工場を設立,金井川の水力を利用し,年産430貫・価格2万5,500円。同45年川の対岸に機械製糸工場を設立,70釜,火力運転,碓氷社から独立し鏑南製糸所となる。大正7年2工場は合併し,出資口数1,681(1口10円)・釜数130,同11年生産高約900貫目・価格12万円。同工場は昭和16年軍需工場に接収され,終戦時に解散(多野藤岡地方誌・多野郡誌)。大正9年字堀米に,塩川の玉子湯鉱泉に対する君の湯鉱泉を創業,昭和初期まで営業。同鉱泉は伝承によると,江戸末期の発祥といわれる(多野藤岡地方誌)。昭和22・23年頃,キュウリの促成栽培が当地から始まり,同27年頃現在のハウス栽培となった。明治42年当地内の4社は,小棚・本郷の数社とともに,本郷火蛇神社に合祀,「上野国神名帳」の由来に基づき穂積神社と改称。横尾佐十郎は高山社で養蚕技術を学び,明治27年高山社伝習所横尾分教場を経営,子素一は長野県上田市の蚕業学校に学び,父の志を継承。昭和18年戦争激化により,養蚕・蚕種製造共同組合廃業。同父子は養蚕関係の記録を残した。佐十郎の父は狩野派絵師,応処斎淵臨で,門人が遺徳を称え墓を建てた。特産の片山胡瓜作りを佐十郎の孫横尾博次が創業。昭和56年片山公民館建設。同62年金蔵寺の十王像奪衣婆は町重文に指定された。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7282133
最終更新日:2009-03-01




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