ケータイ辞書JLogosロゴ 合瀬村(近世)


群馬県>新治村

江戸期〜明治7年の村名吾妻【あがつま】郡のうち赤沢山東麓,赤谷川支流の西川右岸に位置するはじめ沼田藩領,天和元年から幕府領「寛文郷帳」には村名が見えず,村高は「元禄郷帳」で4石余,「天保郷帳」「旧高旧領」とも同高なお天和元年の沼田領郷村品々記録(小林家文書/県史資料編12)によれば,大きな打ち出しが計られた沼田藩主真田氏の寛文3年新検地による高として46石余とある三国街道の裏街道が永井村から分かれて当村へ入り,さらに入須川―大道峠―中之条へと通じていた江戸期に永井村が越後米市場として栄えた時は,盛んに人馬が往来し,入須川村の女馬方もこの道を越後まで通って荷物を運んだと伝えられる元文元年の当村ほか3か村家数人数改控(林家文書/同前)によれば,家数8,人数45うち男21・女24,馬6・牛3幕末の改革組合村高帳では,高4石余,家数6明治元年岩鼻県,同4年群馬県を経て,同6年熊谷県に所属同7年長井村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7282137
最終更新日:2009-03-01




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