ケータイ辞書JLogosロゴ 勝山(近代)


群馬県>上野村

 明治22年〜現在の上野村の大字名。明治24年の戸数48,人口は男141・女157,学校1・水車場2。当地に生まれた黒沢万吉は同30年村長となり,県道改修や産業教育に貢献し,歌舞伎座を模したマルマ座劇場を経営した。また,神流川の水を利用して製材業も営んだ。マルマ座は大正11年火災で焼失するが,それ以後も地内の芝居熱は長く続き,祭りや行事には当地の人々の演技が披露された。昭和30年頃地内を定期バスが通るようになった。当地は村内で一番早く県道がそのまま拡幅されて国道が完成し,集落の中央を通っている。世帯数・人口は,昭和30年74・368,同50年56・216。昭和60年現在プラム・キノコの栽培が盛んである。曹洞宗観音寺は明治25年再建され,無住であり現在公会堂として利用されている。男の子の民俗行事として勝山の火あげがある。8月1日夜,神流川の川原から高反山中腹まで麦わらの束を立てたものや麦わらで作った鳥居を石油玉で点火して燃やす行事で,先祖の霊を迎える火を意味し,蛾などを焼き殺す害虫駆除も兼ねている。太鼓が打ち鳴らされるなかを松明を持って一気に山へ登る姿は勇壮である。字向屋は行政区は新羽に属している。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7282141
最終更新日:2009-03-01




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