ケータイ辞書JLogosロゴ 金井村(近世)


群馬県>甘楽町

 江戸期〜明治22年の村名。甘楽【かんら】郡のうち。はじめ小幡藩領,のち幕府領を経て再び小幡藩領。寛永14年の検地帳(甘楽町公民館蔵文書/甘楽町史)によると,田24町1反余・畑28町3反余・屋敷反別2町7反余で,総反別55町1反余。村高は「寛文郷帳」で423石余うち田方294石余・畑方128石余,「元禄郷帳」429石余,「天保郷帳」575石余,「旧高旧領」同高。寛政5年の領内村々石高等改(松浦家文書/同前)によると,総村高569石余うち本田高534石余・反別55町2反余うち田24町余・畑31町1反余,新田高35石余・反別4町4反余うち田2畝余・畑4町4反余,納合米175石余・永69貫余,安永年間の領内諸改(同前)によれば,物納は真綿1貫余・大豆5石余・萱22駄である。また,天保13年の領内村々石高並反取覚帳(田村家文書/同前)によると,田方上田8斗8升余・中田8斗3升余・下田7斗5升余,畑方上畑259文・中畑212文・下畑188文となっている。藩財政の窮乏を打開するための一策として,年貢諸付加税・新田開発などのほかに屋敷改・藪林改などを行ったが,屋敷改については,寛保2年の年貢割付状では旧屋敷反別合せ2町7反余・新屋敷反別合せ3町3反余(甘楽町史)。弘化3年の中山道安中宿助郷人馬触立帳(安中宿本陣文書/同前)によると,増助郷高83石,人足162・馬121。幕末の改革組合村高帳によれば,小幡村寄場組合に属し,高569石余,家数194。明治4年小幡県,群馬県を経て,同6年熊谷県,同9年群馬県,同11年群馬県北甘楽郡に所属。神社は北野神社などがあり,寺院は真言宗宝勝寺,真言宗宝常院(明治40年宝勝寺と合併)などがある。明治8年天引学校を天引村勝願寺に創設,通学区域は天引・金井の2か村であった。同15年金井村宝勝寺に金井支校を置き,金井村の児童を収容,同16年独立して金井学校となる。同18年第十八小学校に合併し,翌19年第二十一尋常小学校と改称,さらに,同20年育英尋常小学校と改称。同22年新屋村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7282147
最終更新日:2009-03-01




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