ケータイ辞書JLogosロゴ 上磯部村(近世)


群馬県>安中市

 江戸期〜明治22年の村名。碓氷郡のうち。新寺村ともいう。はじめ旗本河田氏領,宝永16年旗本河田氏・横地氏の相給となり,延享3年からは旗本河田氏・横地氏と幕府領の相給となる。検地は慶安2年と寛文3・4年などに実施。村高は「寛文郷帳」で2,228石うち田方1,355石余・畑方872石余。「元禄郷帳」「天保郷帳」では東上磯部村・西上磯部村に二分されており,「旧高旧領」では両村のほかに上磯部村が見え,その村高228石余。宝永7年から中山道松井田宿の定助郷村となり,その助郷高228石(安中市誌)。名主は金田家が勤めた。鎮守は赤城神社。寺院には天台宗観音寺があったが,現在は廃寺。秣場の確保は農業経営の上で欠かせないことで,万治4年上磯部村と中野谷村は秣場の境界争論を起こした。この争論は奉行の上野国碓氷郡磯部村と中野谷村就野論裁許之覚と裁許絵図が出されて,一旦は解決したが,なおこの裁許絵図ではすでに字塩の久保の現鉱泉湧出口にの印がつけられている(安中市誌)。明治元年岩鼻県,同4年群馬県を経て,同6年熊谷県,同9年群馬県に所属。「郡村誌」によれば,戸数34・人数174(男91・女83),牛馬17,民業は男が農31戸,女が養蚕・糸織従事者57人,物産は生糸9貫・絹30疋・太織25疋。同22年磯部村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7282201
最終更新日:2009-03-01




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