ケータイ辞書JLogosロゴ 上河内村(近世)


群馬県>吉井町

江戸期〜明治3年の村名多胡郡のうち鏑【かぶら】川右岸,西は大沢川から東は西谷川(旧多胡川)に及ぶ地域のおよそ西半分に位置する小字に独活塚【うどづか】・塚原があり,かつては古墳群の存在したことを物語るが,この一角に東京精密管(当時黒沢製作所)を設立する時,数基の古墳は失われ,その際に七鈴鏡が出土した川内村が上河内村と下河内村に分村して成立,上川内村とも記された旗本溝口氏領村高は,「元禄郷帳」228石余,「天保郷帳」も同高「旧高旧領」では下河内村と合わせて「川内村」と見え,高431石余文政年間の吉井宿組合村々書上帳によれば,村高228石余,家数22・人数124(男67・女57),馬2,寺院に浄土宗法林寺がある(吉井町誌)菩提山功徳院法林寺は天正8年草創,文禄2年住蓮社安誉上人の開院(上野名蹟図誌)幕末に,町人荻原久右衛門が坂東・西国・秩父の百体観音像ならびに四国八十八霊場の本尊を安置する四国堂を寄進,また境内には吉井藩の3代官橳島高堅らの墓がある(ふるさとの文化財)幕末の改革組合村高帳では,吉井宿寄場組合に属し,高228石余,家数18なお吉井藩は版籍奉還に先立って領知を返上,当村など同藩領は明治元年岩鼻県に所属同3年川内村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7282231
最終更新日:2009-03-01




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