ケータイ辞書JLogosロゴ 上中森郷(中世)


群馬県>千代田町

 鎌倉期に見える郷名。邑楽郡佐貫荘のうち。永仁3年12月21日の関東下知状(長楽寺文書/県史資料編5)に「太田彦三郎貞康申,上野国佐貫庄上中森郷内田畠陸段・在家壱宇・畠壱町肆段事」とあるのが初見で,貞康は大輪又太郎勝秀から買得した当郷内の田畠・在家の安堵を求め,幕府は勝秀に確認してこれを認めている。また,文保2年3月27日の関東下知状(同前)によれば,加治三郎左衛門尉法師(法名教意)女尼仙心は,同元年12月13日に佐貫兵庫允氏秀から買得した「佐貫庄上中森郷内在家弐宇・田弐段・畠弐町八段〈名字坪付載沽券〉」と同日に佐貫孫太郎入道願阿から買得した「同(上中森)郷内畠壱段大〈堺載沽券〉」の安堵を求め,幕府はこれを安堵している。さらに,元応2年2月23日の関東下知状(同前)によれば,尼仙心は,同元年10月19日に佐貫左衛門六郎経信から買得した「佐貫庄上中森郷内畠地五段〈坪付載沽券〉」の安堵を求め,幕府はこれを認めている。大輪氏・佐貫氏は佐貫荘の開発領主である佐貫氏の一族と考えられ,三善氏の一族太田氏や加治氏などとの宝治合戦で佐貫氏が没落して以降新恩給与で当荘内に入ってきた武士によって買得されていたことが知られる。なお,戦国期の天正12年6月14日の北条氏直充行状(原文書/県史資料編7)には「館林領之内……中森」が見え,富岡氏に宛行われている。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7282334
最終更新日:2009-03-01




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