ケータイ辞書JLogosロゴ 上野尻村(近世)


群馬県>安中市

江戸期〜明治12年の村名碓氷【うすい】郡のうち碓氷川と同川に注ぐ九十九【つくも】川の河間に位置する安中【あんなか】藩領慶長年間中山道の伝馬制度の整備に伴い,当村のうち街道沿いの1町6反余の地と,街道南側下野尻村の一部を合わせて伝馬宿が取り立てられ,南側に36軒,旧当村地内の北側に29軒計65軒の家並みがつくられた(安中市誌)やがて谷津村をも包み込んで,中山道沿いに東西に,「うなぎの寝床」と俗に呼ばれた長い町並みができ上がり,当村は伝馬町の安中宿や下野尻村・谷津村と合わせて安中と総称され,安中城下四町の1つとされた村高は,「寛文郷帳」で505石余うち田方237石余・畑方267石余,「元禄郷帳」「天保郷帳」とも585石余「旧高旧領」では浄土宗大泉寺領が安中宿として別記されており,当村の高は550石余反別は,宝暦6年の年貢割付帳(桜井家文書)で田19町9反余・畑25町4反余・屋敷7町2反余年貢は,田が米納,畑が金納で,小物成には,現物納の渋柿・縄・藁・糠,代米納の大豆・荏・小豆・荒麦が代米納,代金納の綿・麻・藪運上・蕨があった寛延2年の家数152(中沢家文書)また天保13年の町並み絵図(安中宿本陣文書)から職種別軒数をあげると,農業30・鍛冶屋1・鍬柄屋1・桶屋1・大工1・畳屋1・紺屋1・湯屋1・煙草屋4・酒造1・穀屋2・建具屋1・質屋2・豆腐1・温飩1・水油1・菓子2・麦麺5・塩肴2・茶漬1・八百屋1・饅頭1・荒物5・小間物1・太物1・足袋2・絹2・古鉄1・鍋釜1・呉服1・踏草鞋2・浅草物1・醤油1・麻1・茶1・塩1・瀬戸物1・医師2,ほかに明地明屋18で,あらゆる職種があって住民の需要を満たしていたまた村内には天台宗東光院(除地17石余),墓地に同志社大学創立者新島襄の祖父弁治と弟双六の墓がある真言宗妙光院(朱印64石余),境内に県天然記念物のツバキがある浄土真宗西広寺(除地2反4畝余),市重文の社殿・彫刻・絵馬と市天然記念物大ケヤキがある熊野大権現などの寺社が建てられているまた現在市役所が建っている場所の東,かつて窪庭観音堂のあった元宿は古代東山道の野後【のじり】の駅の所在した場所といわれているなお当村は安中宿の定助郷を勤め,その助郷高は505石幕末の改革組合村高帳では,安中宿寄場組合に属し,寺領を除いた高505石余,家数120明治4年安中県,群馬県を経て,同6年熊谷県,同9年群馬県に所属なお明治5年当村内に,群馬県廃娼運動の中心人物湯浅治郎が開設した便覧舎は日本最古の私設図書館といわれている同12年安中宿(駅)の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7282349
最終更新日:2009-03-01




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