ケータイ辞書JLogosロゴ 上之手之郷(中世)


群馬県>玉村町

 戦国期に見える郷名。那波郡玉村御厨のうち。地名としては室町期から見え,応永32年と推定される年未詳11月16日の比丘亮託・思明連署書状(金沢文庫文書/県史資料編7)に「抑上手・佐谷田御百姓等,銭方者,如形可納申候,米方ハ損亡お被立申候ハてハ,不可得納申候,両度に折紙申候」とあり,これは玉村御厨の作柄を報告したものであるが,当地および佐谷田(斎田)の百姓が年貢納入について,銭は例年どおり納め,米は損亡により納められない由を申し入れていたことが知られる。下って,天文21年3月13日の武田家朱印状(深津文書/群馬県古城塁址の研究補遺上)によれば,武田晴信は同年3月9日の信州時田における合戦の戦功を賞し,志村権之進に対し「逸見上手之郷拾八貫弐百五拾文并ニ棟別壱間免許之事」と宛行っている。また天正7年極月28日の北条高広判物(宇津木文書/県史資料編7)に「一,五拾貫文 〈上之手之郷,長井分〉」とあり,宇津木左京亮に対し,武田氏への忠信を賞して当郷など合計281貫文を宛行い,北玉村を守るよう要請している。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7282353
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ