ケータイ辞書JLogosロゴ 上福島村(近世)


群馬県>玉村町

 江戸期〜明治22年の村名。那波郡のうち。はじめ前橋藩領,延宝9年前橋藩・伊勢崎藩の相給。村高は,「寛文郷帳」で790石うち田方450石余・畑方339石余,「元禄郷帳」同高,「天保郷帳」912石余,「旧高旧領」同高。武蔵・江戸との交通は利根川を渡船で行った。前橋藩では当村に福島番所を置き,通行の取締りをしている。「前橋風土記」には福島港について「那波郡上福島村に在り,水傍の高岸上は守舎を設く,下を下り港に到る」と記されている。現在番所のあった所は洪水で流失して不明であるが,通路の石畳の一部が残っている。宝暦2年の前橋藩日記(前橋市立図書館蔵文書/県史資料編14)によれば,番所は下目付1・番人足軽2で,鑓2本・三ツ道具1組・棒2本・捕縄2筋・手鎖2懸ケという軽いものであった。前橋藩主の参勤,藩士の江戸出府の往復には,福島港を経て五料に至り,烏川を渡って中山道に上るのを通常の経路としていた(高橋家文書)。幕末には河岸も開かれ,問屋も2軒あったという。下川淵村との境の端気川は前橋市内で広瀬川から分流した用水路であるが,正保2年に広瀬川舟運が開かれ元禄15年に至り中絶,嘉永7年米穀問屋三川民平が端気川通船の請書を差し出している(持田家文書/下川淵村誌)。幕末の改革組合村高帳によれば,村内の伊勢崎藩領分は伊勢崎町寄場組合に属し,高270石余,家数20と見える。明治4年前橋藩領分は前橋県,伊勢崎藩領分は伊勢崎県からともに群馬県,同6年熊谷県,同9年群馬県に所属。同22年上陽村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7282374
最終更新日:2009-03-01




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