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上牧村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
上牧村(近世) 江戸期~明治8年の村名伊那郡のうち天竜川上流左岸に位置する支流三峰川の扇状地末端に山林・畑を持ち,天竜川沖積地に集落がある延文元年11月28日の奥書を有する「諏方大明神画詞」に「真木」が見え(諏叢2),上牧は,天竜川下流右岸の下牧村に対する村名と考えられている高遠【たかどお】藩領村高は,「天正高帳」239石余,「正保書上」333石余,「元禄郷帳」294石余,「天保郷帳」320石余,「旧高旧領」339石余「信州伊奈郡郷村鑑」に,天竜川に架かる大橋の北の村,牧(高427石余)は今2か村に分かれ,上牧239石余とある天竜川の東段丘下と段丘上六道原を村域とし,天竜川による水害にたびたび襲われた安政5年には天竜川・三峰川沿岸の村々とともに,幕府から堤川除国役御普請を仰せ付けられ,当村は60両の入用金をもらった段丘中段に八幡社があり,文政元年の棟札がある明治4年高遠県を経て筑摩県に所属同8年伊那部村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
上牧村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
上牧村(近世) 江戸期~明治初期の村名伊勢国多気郡のうちなお,江戸中期までは飯高郡・飯野郡に属したともいわれる櫛田川中流右岸の河岸段丘上に位置する地名の由来は,牧三郷のうち上流部に立地することによる元和5年からは紀州藩田丸領四疋田【しひきだ】組に所属村高は,「文禄3年高帳」では牧之郷として354石余,「元禄郷帳」125石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ではともに150石余櫛田川対岸の広瀬村との間にダンベ船による船渡しがあり,牧の渡しといわれる北畠氏の家臣岡小四郎の居城と伝える牧城跡がある明治4年度会【わたらい】県,同9年三重県に所属明治初期牧村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
上牧村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」