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- 鎌原村(近世)とは
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鎌原村(近世) 江戸期~明治9年の村名小県【ちいさがた】郡のうち千曲川中流右岸の平地段丘上に位置する上田城下の町続きで,城下囲い在分の1村上田藩領村高は,「元和高石帳」で貫高57貫555文・石高142石余,「正保書上」「元禄郷帳」とも同高,「天保郷帳」193石余,「旧高旧領」142石余宝永3年の村差出帳(上田藩村明細帳)では,家数28うち百姓15・水呑13,人数223うち男120・女103で,大工1人・紺屋1人・綿打1人・鍛冶2人・恵比寿社人2人・神事舞太夫2人がいた馬はわずかに2頭で,上田城下の原町・海野町と田中宿に寄馬を出していた明治2年の村高家数人別帳では,家数37,人別275うち男129・女146産土神は鎌原神社明治4年上田県を経て長野県に所属同9年常磐城村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」