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群馬県>笠懸町

 明治22年〜現在の大字名。はじめ笠懸村,平成2年からは笠懸町の大字。明治24年の戸数55,人口は男192・女190。産物は,陸稲・大小麦・甘藷・南瓜・大根・桃などで,ほかに明治初期より養蚕が盛んで,繭と生糸が現金収入の大きな位置を占めていた。昭和10年北部を走るJR両毛線のすぐ南に,桐生市の森宗作によって5万165坪余の桐生愛国飛行場が非公共飛行場として発足した。戦時色が濃くなると落下傘降下訓練も行われ,同20年米軍の空襲を受け機能を失った。戦後11軒の農家が入植した。食糧補足と工業用として特産の甘藷が増産された。さらに特産の大根は品種を統一,干大根の生産量は村内一位を占めている。地質が軽鬆土で水の便がなく,つるべ井戸を利用していたが,昭和37年上水道が敷設された。同40年地区のやや中央に稚蚕共同飼育所が完成し,主婦の労働が緩和された。しかし社会状勢の変動により養蚕農家が激減し,蔬菜専業に変わり,離農者も増えたため,同56年閉鎖。跡地は宅地化した。人口急増に伴い昭和41年,村営住宅10戸が,地区のやや北寄りに建設された。また社会教育施設としての地区公民館が昭和40年臥竜庵庫裏跡に新築された。水道の敷設と農地の基盤整備,県道・村道の拡幅,舗装などにより近代化が進んだ。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7282547
最終更新日:2009-03-01




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