ケータイ辞書JLogosロゴ 神戸村(近世)


群馬県>榛名町

 江戸期〜明治22年の村名。群馬郡のうち。文禄4年8月24日付の井伊直政法度には「郷戸村」と見え,開田分の年貢額や夫役人数など9か条を定めている(板鼻文書/群馬県古城塁址の研究補遺上)。はじめ高崎藩領,元和元年安中【あんなか】藩領,寛文2年幕府領,同6年三河中島藩領,同12年幕府領,元禄7年旗本堀氏領。慶長6年の検地帳(桜沢家文書)によれば,上田1町余・中田2町余・下田2町余,畑8町余,屋敷3反余。村高は,「寛文郷帳」183石余うち田方117石余・畑方65石余,「元禄郷帳」同高,「天保郷帳」199石余,「旧高旧領」183石余。天保中御改革に付組合村石高書上帳(清水家文書)でも183石余とあり,ほかに年次不詳の戸榛名御神領35石。宝暦10年の宗門改帳(桜沢家文書)によると,家数50,人数223うち男116・女107。明和元年の宮沢村明細帳(清水家文書)に,当村からの出作畑9町余とある。天保13年中山道板鼻宿宿村組合内議定書(同前),嘉永元年板鼻宿寄場改革組合村石高帳(福田家文書/県史資料編10)などに当村名が見え,文政年間から板鼻宿定助郷村となっていたように思われる。当村は榛名【はるな】山南麓中野秣場札元13か村の1つであるが,中野秣場に西接する上室田・中室田・下室田3か村の内野秣場と境論が起き,元禄17年裁許となっている(新井家文書)。また,宝暦10年には中野秣場野付6か村と札元13か村の間で争論が起きている。幕末の改革組合村高帳によれば,板鼻宿寄場組合に属し,高183石余,家数33。明治元年岩鼻県,同4年群馬県を経て,同6年熊谷県,同9年群馬県,同11年群馬県西群馬郡に所属。「郡村誌」によれば,村の東西5町40間・南北10町25間,税地は田13町2反余・畑14町9反余で計28町1反余,改正反別で田17町8反余・畑12町6反余・宅地2町4反余・山林雑種地12町9反余,飛地は下室田村と宮沢村の間田1反余・畑3畝余,貢租は地租米52石余・金27円余,雑税2円余,戸数32・社1で計33戸,人数男72・女78で計150,馬15,物産は繭17石余・生糸2貫余・絹16疋。水利による製糸業の発展がみられる。明治21年頃から水車業・煙草・雑貨の小売,酒・塩・竹などの小売各1店が農業兼業で開業している。同22年久留馬村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7282648
最終更新日:2009-03-01




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