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- 後閑村(近世)とは
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後閑村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
後閑村(近世) 江戸期~明治9年の村名勢多郡のうち山上を冠称して山上後閑村ともいう赤城山南東麓に位置する「寛文郷帳」には当村名が見えず,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」では山上を肩書に付記しており,江戸前期に山上村が当村など6か村に分村したことにより成立したことが知られるはじめ大胡【おおご】藩領,慶長6年前橋藩領,明和5年幕府領,安永9年からは出羽国松山(松嶺)藩領(郡村誌)村高は,「元禄郷帳」229石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに267石余明和5年の村銘細帳(山上区有文書)では,家数61,人数男135・女121,馬30明治元年岩鼻県,同4年群馬県を経て,同6年熊谷県,同9年群馬県に所属同年山上村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」