ケータイ辞書JLogosロゴ 木暮村(近世)


群馬県>吉井町

 江戸期〜明治22年の村名。多胡郡のうち。はじめ吉井藩,慶長6年旗本長谷川氏領,寛文4年幕府領,宝永6年から旗本川勝氏領(郡村誌)。村高は,「寛文郷帳」で399石余うち田方163石余・畑方236石余,「元禄郷帳」431石余,「天保郷帳」438石余,「旧高旧領」では「小暮村」と見え431石余。元禄12年中山5か所の溜井をめぐり,馬庭村と当村との間で用水論争が起き,幕府評定所の裁許書が出されている(吉井町誌)。文政年間の吉井宿組合村々書上帳による家数45・人数197(男102・僧2・女93),寺1(同前)。幕末の改革組合村高帳では,吉井宿寄場組合に属し,高438石余,家数45。また明治3年の組合村家数人別書上帳(三木家文書/県史資料編9)では家数50・人数206(男106・女100)。明治元年岩鼻県,同4年群馬県を経て,同6年熊谷県,同9年群馬県に所属。寺院は曹洞宗甘楽【かんら】郡轟村宝積寺末,士峰山全林寺。弘治年間創立。佐藤家文書によれば,同寺は古く岩井村にあり,佐藤家の祖重利が現地へ文禄年間に移築したという。また南部に無量堂がある。このほか全林寺持ちの穴薬師もある。神社は,明治10年の神社明細帳(県立文書館蔵文書)によれば神明宮・三島神社・上浅間神社・下浅間神社・客人神社がある。同22年入野村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7282701
最終更新日:2009-03-01




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